術後3日目、令和6年元旦の入院生活は静かに揺れた日だった。

骨折治療記

術後3日目、元旦の朝

日常生活を少しづつ取り戻す

元旦でもあり、この日は流石に先生は来ませんでした。
6時の起床の点灯からすぐにトイレ、髭剃り、顔洗いをして自分の中の日常を取り戻しました。
足は前日より痛みがかなり引いており、普段なら痛いことも気が付かないくらい弱くなりました。
ただ、日常の習慣の中で足を浮かすことが多くなっているからか左足太ももが筋肉痛になっていました。
筋肉痛と言っても軽いものなのであまり気にせず、これもリハビリだと思って必要なことは全てやるようにしました。

妻へ差し入れのお願いと書類の手続き

昨夜のこともあり、とりあえず妻にアイマスクと耳栓を依頼しました。
私もイビキをかくほうなので、仮に私のイビキで相方さんが寝られなかったとしても、お互いにできるだけの努力で補い合おうという自分勝手な言い分です。
しかし、三が日は差し入れができないようで、4日が最短だと言われました。

また、会社から休職に関する書類が届き、保険会社からも申請に関する書類が届いたと妻から聞きました。
保険会社からは事前に連絡が入っており、書類にも記載がありましたが、入院見舞金、入院日数分の入院保険、手術1回分の保険が降りるようで、高額医療ですが、ひとまずは安心ができそうです。

書類データなどを見たり、荷物を整理したりしているうちに地震が起きました。
令和6年能登半島地震でした。

能登半島地震の影響

家族との連絡

病棟はかなり揺れました。
揺れた瞬間に割と大きくなりそうだと思い、妻に連絡しました。
とりあえず常に連絡が取れるようにして、我が家の状況、妻と子の状況が把握できるようにしました。
どうせ私のところで何かあっても私自身は何もできないし、家で何かあっても何もできないけれど、繋がりが安心感になることで、かなり冷静にいられたと思います。

病棟の対応

病棟内では看護師たちが声掛けをしあって状況の把握をしていました。
把握が終わればもういつもの看護スタイルに戻って夕食の用意をしていました。
私の入院先の震度が3だったからかもしれませんが、なかなかに落ち着いていたと感じました。

睡眠不足の夜

相方の痰の問題

夕食を食べて、歯磨きなどをして、就寝時間となりましたが、また困ったことがありました。
そう、相方さんの痰の問題です。
四肢不自由で気管切開されているため、どうしようもできないのですが、かなりの頻度で起きており、しかも夜中のため、かなり寝られませんでした。
痰の混じった咳だけでも割と大きな音で、それだけで目が覚めるのですが、吸引のために灯りをつけるか、院内スマホの明かりをつけて作業を行うので、かなり強い刺激が目に入り、一度目が覚めるとなかなか眠りにつくことができませんでした。

睡眠の質の低下

この日も9時消灯、0時ごろから2時間ほど寝られず、4時には完全に目が覚めてしまいました。
睡眠については日中に30分程度昼寝をしていましたが、音と光で連日夜中に起きてしまうのは自分の意志ではないので、結構きついものがあると感じた年始でした。

この記事を書いた人

アラサーリーマンで一児の父。日々過ごす中で気が付いたこと、面白かったものなどをシェアします。

テックをフォローする
骨折治療記
スポンサーリンク
テックをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました