足首骨折判明!入院〜手術前日の不安と準備

骨折治療記

病院での検査と診断

朝から妻に病院に行く準備を手伝ってもらい、子どもには状況を説明しました。
妻と病院に行く間に冬休みの宿題をするようにお願いしました。
上司にも改めて連絡し、会社にも電話することになりました。

8:15に出発しましたが、玄関から一歩も動けませんでした。
玄関までの移動で右足の体力を使い切ってしまったからです。
左足をつけなければ外に出ることがかなり難しいと分かっていても左足をつけるのが怖かったです。
それは足をつけなくてもかなり痛かったからです。
足をつけたらと想像するだけで冬なのに脂汗が出ました。

意を決して左足をつけてみましたが、ただ地面につけただけで想像を絶する痛みで動けなくなってしまいました。
妻からはその様子なら歩くのは無理だから私に掴まって移動しようと言われましたが、体重差を考えたらすぐに共倒れしてしまうことは目に見えていたため拒否しました。

妻がタクシーを呼びに行ってくれたので、タクシーが乗れるところまでケンケンで移動しました。
この移動だけで10分はかかりました。たかが20メートル程度の道を歩くだけでした。

タクシーが来るまでの間、会社に連絡し、休む旨を伝えました。
飲み会の次の日休みか?と揶揄われましたが、正直に捻挫だとは思うが折れたかもしれないということと、病院に行くことを説明して休みをもらいました。

病院に着きましたが、ケンケン数歩で動けないため、病院の外にあった車椅子を妻に借りてもらい、受付してもらいました。
受信した診療科は整形外科です。
受付後、老齢の方々が増え、待合は一杯になりました。
私は昨日のアルコールの影響か尿意が強く、飲み物を少し飲んではトイレに行きました。
何度もトイレに行く中でアルコールが完全に抜けてきたのだろうと思っていました。
心なしかトイレの度に足の痛みも強くなったように感じました。
妻には何度も車椅子を押してもらい、トイレに行かせてもらいました。

診断の順序は、問診と触診後、レントゲンとなりました。
レントゲン検査は割とすぐに通されましたが、足が痛すぎるためなかなか撮影台に体が乗りませんでした。
技師さんには患者さんの体の力があるからこれでも楽ですと言われましたが、腕で体が全て持ち上がるわけもなく、下半身部分の多くは補助してもらいました。

すぐにレントゲンの結果が出て、診察室へ行きました。
結果は骨折でした。人生初の骨折でした。この診断を聞いたとき、本当に情けなかったです。
医師からは診断結果と共に手術しないと正常には治らないとのことを伝えられました。
手術内容はボルトとプレートを入れて固定するものになるようです。
術後2週間は入院、4週間は松葉杖を使って左足には一切荷重をかけない上で少しずつ慣らし、完治までは半年くらいかかると思って欲しいとのことでした。
また、ボルト、プレートは一年後をめどに再度手術して抜くことを考えているとのことでした。
開けた穴は埋まらないことがほとんどではありますが、プレートを基点にして骨折することがあることと、まだ若いので、1年後を目安にプレートを抜いた方が良いとの判断のようです。

ありえないスケジュールで入院と手術が決まる

手術は通常、腫れの様子なども見るため、何日か間をみて決めるらしいですが、たまたま29日の手術がキャンセルになったとかで、ありえないスケジュールで入院と手術が決まりました。
しかし、足の腫れが引いていないため、29日に手術できるかは1日中安静、且つ冷やし続けた結果を見ないとなんとも言えないとのことでした。

この時点で11:30でした。ここから手術の前に足を固定する施術がほどこされ、手術のためにCTや、再度のレントゲン、採血などを行い、全てが終わってから入院のために20分ほど待ちました。
玄関ホールに近いところに放置されたため、寒かったです。
また、待っている間に保険屋さんに連絡し、どんな保障があるか確認の依頼をメッセージで送りました。
また、会社にもこの時に骨折していることや入院、手術が必要で、しばらく休みが必要である旨を伝えました。
会社からは、年末に大変だろうが、ご自愛くださいという言葉をもらいました。
会社の忘年会がスタートだったので、それさえなければこんなことにならなかったのにという思いが少しだけありましたが、周りに当たっても足を踏み外したのは私なので、関係ないですね。

これらが終わったころに病室の案内をされました。
まだこの時点では保険の状況もわからなかったので、差額ベッド代が出ない大部屋を希望しましたが、看護師長の判断では2人部屋を勧められました。
理由は、今空いている大部屋は気管切開をした人が多いことで痰などの吸引音が大きいことと、叫ぶ患者が隣のベットになるので、術後に寝ることはできないと判断したようでした。
また、2人部屋には既に人がいるが、その人は吸引のみだから割と静かであるとのことでした。
そこまで説明されたら、看護師長の判断が正しいのかなと思い、とりあえずは2人部屋にしてもらいました。部屋の希望は随時出すことができ、空いていればすぐに2人部屋から大部屋に行くことも可能であるとのことでした。
個人的にはどちらでも良かったですが、1人で冷静になると、やはり手術は怖かったですし、できるだけプライベートが欲しかったです。
差額ベッド代は甘んじて払うことにしました。

12:20ごろ、病室に案内されました。
いきなり部屋の希望を変えたのに看護師長は笑顔で運んでくれました。
色々と入院について担当看護師から説明がありましたが、私自身パニックだったことと、入院中の面会が術後1週間経つまで禁止ということに驚き、あまり話が頭に残っていませんでした。
取り急ぎお昼ご飯を出してもらい、食べました。

その後、歯科医と助手が歯の点検をしました。
麻酔により汚れなどを飲み込み、肺炎になるケースが多いようで歯科ケアをするとのことでした。
幸い虫歯はなく、汚れも少ないため、10分ちょっとで終わりました。

麻酔の種類と手術の説明

歯科検診の後は麻酔科が来て問診などがされました。
麻酔についてはまだ決まっていないが、下半身のみの麻酔か、全身麻酔かのようでした。

麻酔科の問診などが終わってしばらく経つと、今度は整形外科の先生がこちらにきて、手術に関することや麻酔に関することを話され、同意書にサインしました。
入院した以上、手術はしないといけないし、早くしたいと思ってあまり話は聞いていませんでした。
多分まだパニックだったんだと思います。
麻酔の方法についてもどちらが良いのか聞いてみました。
下半身のみの方が麻酔後暇になるので、選べるのであれば全身麻酔を勧められました。
全身麻酔の場合は挿管があるので苦しいけどあっという間に終わるらしいです。
麻酔については全身麻酔にしようと決め、確認があれば全身麻酔と伝える心の準備をしました。

今後にスケジュールは夕食以降は痛み止めを飲み、朝にまた痛み止めを飲んだ後、絶飲食になるとのことでした。

入院生活の始まり

その後、26日から風呂に入ってないことを伝えたところ、急遽入浴させてもらえることとなりました。
入浴はストレッチャーで移動し、そのまま全身を洗われました。
何でもかんでもやってもらっていて申し訳ないと思いましたが、なされるがまま洗われました。
看護師や看護補助の方々がかなり気遣ってくれたので快適でした。

そして、昼から思っていたのですが、食事が合いませんでした。
白米が柔らかすぎて、美味しく感じられないのです。
また、主菜などがあまり美味しく感じられず、ご飯が進まない中で白米だけ200グラムもあるのです。
どこで元気を貰えば良いのかわからないメニューでしたが、栄養などを考えて作られているとは思いました。
さらに上げ膳下げ膳でやってくれるので何も文句はありません。
本当に助かりました。

夕食後、薬を飲み、就寝しましたが、正直寝られませんでした。寂しすぎました。
子どもとは朝以降会えておらず、せっかくの冬休みなのに何も思い出ができないと思いました。
妻には家のことの全てだけでなく、私のことまでやってもらわなければいけない状況でした。
本当にたかが会社の飲み会で飲みすぎて、しかも階段を踏み外して骨折なんてするんじゃなかったと後悔しました。
今後2度と飲み会には参加しないと決めた日でした。

また、この時に妻から手術に付き添うから私の実家に子どもを預けたいとの申し出がありましたので、私経由で先に依頼しました。
実家からは大丈夫とのことで細かい調整は妻にバトンタッチしました。
普段かかわりがなく、コロナでさらに疎遠だったからかなり緊張したと思いますが、周りのことを考えて動いてくれて嬉しかったです。

病名は左足関節外果骨折でした。手術名は骨折観血的手術(下腿)でした。

この記事を書いた人

アラサーリーマンで一児の父。日々過ごす中で気が付いたこと、面白かったものなどをシェアします。

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